男性的魅力の多寡は、社会的地位や経済力のない20代前半までの間に、いかに多くの女を責任を負うことなく抱くことができたか、ということで測れる。25歳以降、結婚を考える年齢になり、打算含みで恋愛関係になっても、それは本人の魅力とは関係ない。女にとって、いい年まで童貞でいた男を掴まされたということは、自身の魅力の低さを象徴するものであり、付き合う男の魅力の高さは自分自身の価値の高さを象徴するものである。むしろ若い時期にもてていろいろな女を抱いた勲章もちの男が、一生連れ添う相手として自分を選んだ、ということに優越意識を持つ。
「責任を取る覚悟をもてなければ、本当に好きな相手じゃなければ、抱くべきではない」とか言う聖人君子のような人も中にはいる。正論であるが、25歳以降になって言う台詞ではなく、中高生レベルである。セックスは、互いの存在確認の手段、コミュニケーションツールとして、必須のものである。お互いに自己責任を取れる年齢になったら、たとえ愛がなくても、相手に対する誠意として、セックスするものである。セックスに対する過度の神聖視、抱いてもらえない女の辛さを理解できない浅慮、これが高齢童貞を嫌われる一因になる。
高齢童貞がいざ恋愛関係になると性急に肉体関係に至ろうとする。女は基本的に男に保護されたい生き物なので、女体に対する執着が先行する男が自分を本当に満たしてくれるのか、不安を感じる。自分の体だけ目当てなのかと思ってしまう。
この二つの理由から総合して要するにセックスに対するハードルが低すぎても高すぎても駄目で、そこの調節の仕方が、童貞には分からない、というのが、付き合う上でのネックとなると思う。何事も、年齢相応の経験を積んでおかないと不利になるということだ。











