古代においては、多くの国家が興亡、様々な形の軍隊が結成されており、自国民を徴集することもあれば、傭兵を雇うこともあった。また、非常に大規模な、あるいは異常に苦難に満ちた軍事活動もしばしば行われている。だが、軍隊の形がどうであれ、また遠征がいかに苦難に満ちたものであれ、軍隊には、軍人の性欲処理のために伴われる非戦闘員の姿を、常に見られていた。
例えば、ペルシア帝国中枢部での戦闘に参加した後、そこから戦闘を重ねてギリシアへの脱出を果たした、紀元前5世紀のクセノポンのギリシア人傭兵部隊や、インドからペルシアへかけて兵力の六割を失いながら強行された、紀元前4世紀のアレクサンドロス軍の砂漠越えにも、多数の女性が含まれていた。
こうした性欲処理の相手とされる女性は、商人に混じって軍に同行する娼婦もいれば、遠征軍の略奪によって捕虜になった女性もいた。そして、兵士個人が女性と同行していることもあった。ちなみに、傭兵などは、女性の獲得を目的に戦争に参加することもあったようで、紀元前3世紀のハンニバル軍に参加したスペイン沖バレアス諸島の投石部隊は、報酬を金銭ではなく捕らえた女性で与えるように求めている。なお、性欲の処理は女性のみを対象に行われたわけではなく、美貌の少年も軍人の性欲処理の相手になったことが、クセノポンのギリシア人傭兵部隊の様子から分かる。
ところで、このような非戦闘員は軍事的には足手まといに過ぎず、クセノポンのギリシア人傭兵部隊に見えるように、場合によっては、非戦闘員を軍中から追放せざるを得ないこともあった。
なお、自国民を徴集した軍隊の場合は、兵士に休暇を与えて帰郷させるというのも、性欲処理の一つの手段であった。例えば、アレクサンドロスはペルシア遠征初年の冬には、新婚の将兵を、妻とともに過ごせるよう、本国に送り返している。ちなみに、アレクサンドロスよりはるかに昔、紀元前12世紀から紀元前7世紀にかけて強大な力を誇ったアッシリア帝国においても、兵士は、時折休暇を与えられ、妻を妊娠させるために帰郷していたという。
また、軍隊が防衛のために配置されている場合は、兵士たちが女性と共に生活することも容易である。ローマでは領域と防衛体制の確立された帝政初期から、兵士が女性と共同生活を営むのが慣行となっていたが、3世紀になると結婚が許可され、兵士たちのの間で急速に結婚が広まっていった。そして、家族の養育も、4世紀の一時期を除いては、国家からの給付によって為されていた。














