近世の西洋世界では、生産力の増強によって人口が急増し、14世紀以降、大量の傭兵が各地に出現することになった。そして国家も、復活を遂げた商業を背景に、軍隊を傭兵で編成するようになっていった。
しかし、この時代の多くの国家は大量の傭兵を養いきるほどの能力はなく、傭兵隊は各地を略奪しつつ放浪することで維持されていた。そこには当然、虐殺、放火、強姦等の残虐行為があふれかえっていた。そして、民衆はそのような残虐行為から生命と財産を守るため、傭兵隊に貢ぎ物を捧げざるを得ないこともあり、その貢ぎ物にはもちろん女性も含まれていた。
ただ、大量の傭兵の性欲は、強姦や貢ぎ物の女性のみで処理しきれるものではなく、傭兵隊の輜重隊には多くの娼婦が同伴されていた。彼女たちは、肉体で奉仕して性欲を処理するのみならず、飲食の用意や掃除洗濯、傷や病の看護といった兵士たちの身の回りの世話をも行った。娼婦たちの役目がこのようであれば、当然、兵士との関係は親密なものとなり、しばしば事実上の夫婦として生活した。そして、彼女たちの行商や裁縫、洗濯等の稼ぎは、貧しい兵士たちの生活を支えた。このような夫婦生活は一時的なものが多いだったが、時には正式な夫婦となる者もいた。
なお、傭兵隊の上層部は、部隊に娼婦が付き従うことを、好ましいと考えてはいなかった。しかし、兵士の生活と娼婦は切っても切れないものであり、一部には娼婦に給与を払って売春を部隊内に制度化しようという試みも見られる。
17世紀後半になると、国家の権力が確立して税制の整備が進み、傭兵部隊も常備軍として国家機構の一部に取り込まれ、厳格な規律の下、統制されることになった。そして、この頃には、軍隊内から兵士の妻が排除されたし、兵士が女性と親しい関係を持つのを制限しようと努めてもいる。だが、兵士の性欲を絶つことが不可能である以上、軍隊から性行為を無くすことはできなかった。
相変わらず軍隊には大量の娼婦が群がって来て性欲処理の相手となったし、冬営中などに兵士が愛人を見つけても、それは脱走防止に役立つとして現場では好意的な目で見られていた。














