人間にとって、男性器の露出は、恥ずかしいだけの問題ではない。日本では、自分の性器の写真をインターネット上で公開すれば、猥褻物頒布の罪で逮捕される。
「刑法第2編 第22章 わいせつ、姦淫及び重婚の罪」第174条によると、公然とわいせつな行為をした者は、6月以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。また第175条、わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。
公然猥褻や猥褻物頒布等は、一部の目撃者が不快感を持つかもしれないから有罪というわけではない。刑法180条にあるように、両者は親告罪ではない。だから、例えば、ストリップ小屋でストリッパーが性器を露出すれば、客は当然全員満足するだろうが、それでも公然猥褻と判断され、逮捕される。
ところが、これはよく考えると奇妙なことではないだろうか。一般に、犯罪行為は、他者に利益をもたらすから処罰される。利他行為を法で禁止することはナンセンスである。ではなぜ、一方で金を払ってでも異性の性器を見たいという人が多数いるにもかかわらず、その人たちの欲望を満たしてやることが有罪になるのか。
私たちが、性器を隠蔽しなければならないのは、セックスをタブー化するためなのかもしれない。
性器を隠蔽し、セックスをタブーしている動物は人間だけである。動物の中には、隠れてセックスをするものもいるが、それは交尾中に捕食動物に狙われないようにするためとか、メスを独占しているアルファオスの目を盗むためといった動機に基づくのであって、恥ずかしいから人目を避けて性交するという動物は人間だけである。文化によっては、人前でのセックスが宗教的儀式として行われるところもあるが、そうした例外は、かえって衆人環視の元にセックスすることの非日常性を証拠立てている。
ギリシャでは、性器の露出は恥ずべきことではなかった。但し、はじめからそうだったというわけではない。プラトンによれば、この習慣は、クレタから始まり、スパルタに伝わり、前ギリシャに広まったとのことである。この他、ジャイナ教の裸行派は、完全な裸体で修行をする。










