古くからアメリカ先住民の間では使用されていたが、ヨーロッパ人による新大陸発見後、100年間という15〜16世紀当時としては例外的に急速な期間に全世界に広まった。パイプや葉巻きタバコによるタバコの喫煙は、ヨーロッパの探検家が到達する前から、多くのアメリカ先住民の間では一般的なものであった。
およそ1500年前のマヤ文明における美術作品にも喫煙の習慣が描かれている。マヤ人たちはタバコを万能の解毒剤として用い、また、その効用が魔法的な力を持つと信じ、生贄を捧げる儀式、占い、魔除けに使っていたことでも知られる。
1492年10月12日、クリストファー・コロンブスは乾燥したタバコの葉をアラワク族から与えられたが、興味を示さずうち捨ててしまった。その後ロドリゴ・デ・ヘレス (Rodrigo de Jerez) とルイス・デ・トレス (Luis de Torres) が喫煙を目撃した最初のヨーロッパ人となり、ヘレスがアメリカ州の外で喫煙した最初の人物として記録されている。
16世紀には喫煙の習慣は主に船乗りの間で一般的なものであった。1560年代にジョン・ホーキンス (John Hawkins) の船員によってイングランドにもたらされたが、1580年代に至るまで大きな影響を与えることはなかった。イングランドでは1820年代後期から広く浸透し始めた。1828年、スペインで紙巻きタバコ(シガレット)が登場し、一定の商業的な成功を収めたが、20世紀初頭に安価な機械製造法が普遍化されると、爆発的に喫煙人口が増加した。
第一次世界大戦の間、タバコ製品は典型的な軍事補給物資の一つであった。戦後紙巻きタバコを用いた喫煙は魅力的で気楽な生活様式の一部として宣伝され、女性の喫煙も社会的に受け入れられ始めた。
タバコの健康被害とタバコ規制
1930年代、ナチスの医療および軍事指導者たちはタバコが健康に害を及ぼすのではないかという懸念を持ち始め、麾下の科学者がそれらの関連を初めて明らかにした。アメリカ合衆国では1938年ごろ生物学者レイモンド・パール (Raymond Pearl) がタバコは健康に悪影響を及ぼすことを証明した。
1950年代から1960年代の間に医療界や各国政府、およびリーダーズ・ダイジェスト誌はそれがいかに公衆衛生に害を及ぼすかを示すことによって喫煙率を減らすキャンペーンを始めた。近年、世界の多くの地域では喫煙量が劇的に減少しているが、全世界でのタバコの製造はいまだ増加しており、アジアの国々での喫煙率が比較的高いままである傾向にある。
また、かつては喫煙についての制限はかなり緩く、職場、家庭、旅客機や列車・バスなど公共の場などにおける喫煙が許容されていたため、当時は非喫煙者は通常の生活を営むだけで受動喫煙を避けられない状況であった。
しかし1970年代より世界的に喫煙に関する健康への悪影響が知られるようになり、禁煙活動や嫌煙(分煙とも)活動が推進され、公共の場などにおける分煙の動きも進んでいる。また、都市部では防災上の理由から1980年代より喫煙可能なスペースが制限され、さらに公共交通機関での喫煙行為を全面的に制限するなどの動きも見られており、喫煙習慣への依存度の高い向きからは反発の声も漏れる。
日本におけるタバコの歴史
日本では明治時代に入り、それまでのキセルによる喫煙に代わり紙巻タバコが庶民の間に普及した。当初日本には2社のタバコ会社が存在していたが、日清戦争開始後に財政難に陥った国により 葉たばこ専売法が1898年に制定され、タバコは専売化された。当時、タバコによる税収は国税において大きな割合を占めており(1945年には、タバコによる税収は国税の20%をも占めていたという)、日清・日露戦争などの戦費調達のための重要な財源であった。
第二次大戦後も、1985年まで日本専売公社によるタバコの専売が続いた。1980年時点では、輸入たばこには90%の関税がかけられ、国内市場における輸入たばこのシェアは1.5%未満に過ぎず、海外たばこ企業が日本国内でテレビ・雑誌・看板などの宣伝活動や市場調査を行ったり販売網を築くことはできなかった。
しかし、1980年の米国 フィリップ・モリス社の5ヵ年計画において、日本に対し市場を開放するよう圧力をかけることが計画され[4]、1982年、米国通商代表部(USTR)は日本政府に対し、関税の90%から20%への引き下げ、海外企業の宣伝活動や市場調査の許可を求め交渉した(経済制裁の脅しも持ち出されたという[5])。1985年、日本専売公社は日本たばこ産業に民営化され、1987年には米国タバコへの関税は撤廃された。結果として、米国からのたばこ輸入本数は1986年に99億本、2002年には780億本へと増加し、米国のたばこ輸出の61%を占めるまでになった[6]。
また、日本たばこ産業は民営化されたとは言え、日本たばこ産業株式会社法により財務省が過半数の株を保有している。
日本でも、受動喫煙被害防止の流れを受けて、健康増進法第25条が制定され、さらに世界的には公衆衛生分野における初めての多数国間条約として2005年2月27日に「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約(たばこ規制枠組み条約)」が発効された。
[7]それ以前には防災上のものによる以外では余り明確な分煙・禁煙といった動きも少なかった。特にオフィスの禁煙は、健康上の理由というよりもOA化による機材保護の理由付けの方が強く、職場環境での分煙が始められたのは1990年代に入ってからのことで、一般オフィスで明確な分煙化が進められるようになったのは2000年代に入ってからである(嫌煙権、 喫煙規制や禁煙に関する動き参照)。














