空前の童貞ブーム。いや、マイブームとかではなくて実際、童貞本が続々出版されてるそうですよ。中でも「日本の童貞」(渋谷知美・文春新書)という新書が売れており、書評でもよく取り上げられております。渋谷さんによりますと昔は童貞であることはカッコいいことだったらしいですね。それが戦後の経済発展に伴い、女性から蔑まれ、医学者からは「包茎だから」「パーソナリティが未発達」と病人扱いされる破目になったと。そして70年代初めには「童貞=恥」となり、90年代に入ると逆に童貞再評価(復権)の光がさしてきた、という流れなんだそうです。
でも、頭脳性感的には童貞の復権なんてことはどうでもよくて、むしろ「恥」だからこそ意味があるわけです。「童貞=男の恥=M的快感」ということですよ。それ以外の本や記述はこの際ばっさりと切り捨てます。研究者じゃないんですからその辺は適当だし乱暴です。
著者の渋谷さんは、「恋愛とセックスが強固にむすびついている」今日の日本では、童貞差別はそう簡単にはなくならないといっております。性の解放が進めば進むほど、童貞は恥ずかしいものとなっていくわけで、だったら性の解放はどんどん進んでくれたらよいわけです。自由恋愛(=セックス)が進んで低年齢化し、女子の性体験の低年齢化が進めば進むほど、セックス経験豊富な女子と、オナニーの経験ばっかりで豊富になり、実体験ではすっかり女子に遅れをとった男子との落差は広がる一方でしょう。こういう女性上位的な羞恥構造こそが僕の求めているものだったりするわけです。
本の中に「やらはた」という言葉が出てきます。童貞のまま二十歳を迎えたということで、成人式を迎えたのに童貞というのは情けない、というニュアンスがあります。童貞=未熟という目で見られるわけです。童貞男性にとっては屈辱的です。
また、「シロウト童貞」という言葉も出てきます。風俗で初体験をすませても、それは経験としてカウントされないということです。つまりまだ(素人)童貞なんですね。童貞青年にとって逃げ場がなくなったということです。こういった状況に対して、渋谷さんは、恋愛の自由市場では女性が優位に立っているのだから童貞諸君は差別に順応するのも選択のひとつでは、と提案してます。童貞差別への順応にもいろいろあるかと思います。例えば世間がなんといおうと自分は自分(=童貞)とか、女性に下手に出て初体験させてもらうとか・・・。でもM的願望を満喫するためには、耳の痛い世間の声も拝聴しながら、ひたすら童貞を守って、屈辱的な立場に身を置き続けたほうがいいに決まってます。














